« 2006年05月 | メイン | 2006年09月 »

2006年08月12日

イスラム文化

イスラムの文化について

6世紀末、アラビアのマホメットによって始められたイスラム教(回教)は、極めて短期間にその勢力を拡大していき、西アジア、北アフリカ、さらにスペインなど地中海の広大な地域に一大帝国を建設していきました。

イスラム帝国が建設された地域は、古代オリエント、ギリシア、インドなど先進文明の栄えた地であり、そこの住民はそれぞれの古くからの伝統を受け継いでいたので、それらの伝統を積極的に採り入れ、上手く融合させ独自の東洋的要素の強い文化を創っていきました。

【イスラム文化の様式】

7世紀の初めにアラビアのアホメットが開いたイスラム教は、西アジア、北アフリカ、スペインなどに勢力を拡大し、共同礼拝によるモスク(回教寺院)を建築する。

初期のモスクとしては、エルサレムの岩のモスク、サマラやゴルドバのモスクなどがある。後期の建築ではグラナダのアルハンブラ宮殿が有名です。モスクは独自の塔を付属させ、アーチやアラベスク模様などで装飾し、その内部は独創性な空間をもつ。

建築の内外の壁面は複雑で華麗や釉薬タイル、大理石などで装飾され、床はタイルや大理石などのモザイクのうえに絨毯が敷かれており、天井からはランプが吊り下げられています。また、ペンテンティブや柱頭などの表面には、スタラクタイトと呼ばれる鐘乳石形の飾りを持ったものも見られ、厳冬的な雰囲気を盛り上げています。

アルハンブラ宮殿
写真はアルハンブラ宮殿

【イスラム文化の生活】

イスラム教では特定の祭式を持たず、共同礼拝を主要な祭礼行為と知る宗教となり、礼拝堂(モスク)が信者にとって親交の場であり、生活の中心をなすものでした。

床にじゅうたんを敷き、床座式が行なわれ、部屋の一隅を高くして寝台としていた。住宅は中庭式が多く、そこに噴水や池を設けて涼をとった。建物の壁面やじゅうたんなどには、幾何学的模様やつる草模様が盛んにつかわれていました。

クレタ文化

クレタ文化について

紀元前3000年頃に、地中海の東、エーゲ海の南に位置するクレタ島のクノックスを中心に、青銅器文化として知られる高度な文明(ミノア文明)として知られています。この東地中海一体の海上権を握る巨大な権力を持つ王が支配していたと思われています。

このクレタ文化には2つの時期に分けることができ、前期は紀元前1800年頃までとされ、後期は紀元前1400頃までとなります。前期では都市国家が対立していた為に城壁が築かれ、中庭式宮殿が造られていましたが、後期に入ると、クノックスの王ミノスがクレタを統一したことで、城壁の必要性がなくなり造られなくなりました。

クレタ文化の建築

主体は石造で重層の部分もあり、中庭を中心とする複雑な平面をもち伝説にいう迷宮(Labylince)の言葉が当てはまる。大倉庫や劇場、上下水装置などもみられる。また、円柱は上部ほど太くなり一般の柱とは逆のデザインとなっており、これはエーゲ海文化の特色です。

クレタ文化の宮殿

一般に彩色・絵画で飾られ、石造の壁面に漆喰を塗り着色するフレスコ手法により、その文様はエジプトに似ているが、曲線の運用などは遥かに流暢で優雅にできている。

    代表的宮殿
  • クノックス宮殿、ハギア、トリアダ
クノックス宮殿
写真はクノックス宮殿です。

クノックス宮殿の構造は、高台の上に2階建てで部分的には3階、4階のところもあり、数百の部屋をもつ複雑な建築プランの宮殿となっています。大きな中庭の周囲に玉座の間、王妃の間、礼拝堂、興亡、貯蔵庫などが雑然と配置されていました。

クレタ文化の造形

クレタ文明の中で造形も多数優れたものがあり、その中に陶器と壁画があります。陶器は前期には出土地の名をつけたカマレス式が優れており、ろくろの使用が巧みで、非常に薄手の卵殻陶器が作れていました。

模様は抽象的な流腺文様でクレタ人の曲線的表現の嗜好が伺えます。後期にはたこ、いか、海藻などの海洋生物をモチーフして表現と変わっていき、宮殿式と言われる著しい様式化された装飾文様で構成された陶器も作られました。

壁画については、クレタ後期美術が主役で宮殿や邸宅の室内から廊下の壁、天井を漆喰の下地にしその上に花鳥や海洋動物、宮廷の婦人達などが描かれています。このことは、技法を学んだエジプトのものとは異なり、生き生きとして華やかさが表現されています。

ミケーネ文化

ミケーネ文化

ギリシャ本土の南部の都市国家(紀元前1600年頃)、クレタ文明の影響を受けて急速に栄え、その勢力はクレタを凌ぐまでになる。ギリシア南部には多くの都市がつくられ、その最大の都市をミケーネといいその名をとって「ミケーネ文化」と言われている。

クレタの王は商人であり、酒、油の大生産者でしたが、ミケーネの王の宮殿建築は閉鎖的で城塞の要素が強く、要害の地に巨石で築かれています。

ミケーネ文化の建築

ミケーネの建築の特色はメガロンと言われる前後に長い長方形の間取、切妻屋根、妻入り建築で玄関、前室、炉のある主室が並び、三方が壁で囲まれており、一方だけが開口部がある北方住居型の様式を基本として建てられていました。

宮殿はメガロンの集合体で、城塞の最高所に建てられていました。このように場外を中心に町を形成することは、後にギリシア時代の都市の中心部アクロポリスに引き継がれていき、メガロンに列柱を巡らした構造がギリシア神殿の基本となっていきます。

ミケーネ文化の特徴

クレタの影響を強く受けており、より権威的で力強いが、優雅と洗練さに欠けています。クレタの自由な自然主義に比べて、ギリシア的性格である構成的傾向の萌芽が生硬な感じを与えているみたいです。

そのミケーネの時代は、紀元前1200年頃から南下して来たドリス人の侵入によって終わります。